僕の生活はこいつと出会ってからおかしくなってしまった。名はミケ。本名は知らない。
___出会いは今から丁度3ヶ月前に遡る。
その日もいつも通りの時間に電車へ乗り込んで、いつも通りの席についた。 長い席のど真ん中。
なにせ平日の正午 ガラ空きだ。
自慢じゃないが僕は毎日遅刻をしている。
ゆるい会社なのもあるが、僕は有能だし、クビになっても別に構わない。
10分ほど ただぼんやりと吊り広告を眺める。
自分には無縁の情報をただ目に通していくだけで頭にはちっとも残らない。
グラビアアイドルの胸のサイズ、新しい携帯の画素数・・・ など。
広告に飽きた僕は毎秒移り変わっていく窓の外に目をやった。
一瞬一瞬に、以前見た景色の断片が甦って、次の瞬間にはもう忘れている。
最初の駅、いや 二つ目だったかも知れない。一人の女が視界に現れた。高校生だ。
向かいの席の、僕の目の前にわざわざ座って 一瞬こっちに目をやった。足を八の字にした少しだらしのない座り方。
小柄で顔立ちはかなり幼く、端整。とても綺麗な髪。 絶えず顎をモグモグさせている。ガムだろう。
僕と同じように時間に縛られた様子はない。
しばらくすると、彼女は視線をこちらに向けたまま、かなり大きな、”風船”を作り出した。
顔のほとんどが隠れるほどの。
パスッという音と共に消えては膨らむ彼女の風船。表情は微動だにしない。
そういえば、自分も何日か前にガムを買ったじゃないか? まだあるかも知れない。
背広のポケットを静かに探ると、いくつか入っている。個包装された粒状のやつ。
風船なんてもう何年作っていないだろう。
と思ったが、これは風船が出来るタイプのガムじゃない。ただのミントガム。 でも、いい。
とりあえず口に何か入れたかった。この女を見ていると妙な緊張が走る。落ち着きたい。
彼女はモグモグさせながら、無表情と思いきやたまに怪訝そうな顔をしている。ような気がする。
そして、それは僕に向けた感じではない。
もうじき駅に着く。
その時だ。
彼女は勢いよく席を立ったかと思うと、僕の目の前までやって来て、
こっちが呆気にとられていると、口に入っていたガムを目の前に差し出してきたのだ。
僕は考える間もなくそれを受け取った。それが当たり前かのように。
彼女はガムを手渡すともう用は無いと言った具合に後ろも振り向かず、閉まりかけているドアにするりと消え去った。
ガランとした車両で はっと思い出したように掌を見る。
僕は思わず息を呑んだ。 このガムは確かに僕だ。
直径2cmほどの、とても精巧な作りの僕の顔だ。
彼女は10分程度のあいだに口の中で僕そっくりの肖像を生成したのだ。
"チューイン模写"
彼女はこの「技」をそう呼んでいる。
僕は息を呑んだついでに噛んでいたミントガムを飲み込んでしまったし、その日は一駅乗り過ごしていつもよりも遅刻した。
( 気が向いたらつづく
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ガム使い
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